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(CD)ブクステフーデ・パッヘルベル/古楽・室内楽集(ARCHIV)

ディートリヒ・ブクステフーデ
①ソナタ ト長調 BuxWV271
②ソナタ 変ロ長調 BuxWV273
③ソナタ ハ長調 BuxWV266

ヨハン・パッヘルベル
④パルティー(組曲) ト長調
⑤パルティー(組曲) ホ短調

⑥アリアと変奏曲 イ長調

⑦カノンとジーグ ニ長調

演奏:ムジカ・アンティクヮ・ケルン(オリジナル楽器による)
ディレクター:ラインハルト・ゲーベル
録音:1980年
レーベル:ARCHIV (POCA-2159)

「ばりうむ・ぷろじぇくと」のオーボエ氏からいただいたCDです。このCDをリクエストしていたのは、最終トラックに収録されている「カノンとジーグ」が目的でした。モダンの演奏とは一味も二味も違う、古楽のオリジナルバージョンを堪能しました。わずか3分で駆け抜けてしまう「スピード違反?」のような演奏も、聴きなれてしまうと「ベンツでアウトバーンをぶっ飛ばすような・・・・」(←やったことありませんが、あくまで想像です)不思議な安心感に包まれます。CDショップ店頭の「クラッシック音楽コーナー」などの名曲集に入っているような「パッヘルベルのカノン」がタルくて聴けない体質になってしまいます。

ところが、それだけでは終わらなかった。。。

「ブクステフーデ・・・?」へんてこな名前の作曲家、これがとんでもない代物だったわけです。バッハも影響された(らしい)彼の音楽、とんでもなく素晴らしい音楽があったものです。
http://homepage2.nifty.com/bachhaus/musik/cdlib/buxtehude.html
↑お詳しい方のホームページです↑
聞いた事も無い作曲家でしたが、僕的には変ロ長調のソナタがツボにはまりました。
通奏低音の「一度動き出したら止まらない水車」のようないつまでも続いて行きそうな歩みに乗って、何か体の奥深い部分に向かって、語りかけてくるような旋律が、これまた心地よく、恍惚感に浸ることができます。脳内モルヒネが出っ放し。。。です。

古楽というと、CDショップの「クラシック音楽コーナー」でもメジャーレーベルの100巻セットのシリーズ企画などの一部に申し訳程度についていて、売れないせいか店頭に在庫が無かったり・・・みたいなイメージでしたが(オーボエ氏に怒られそうだ・・)、本当の「古楽」は全然違うようです。僕らが普通に知っているモダンのクラシック音楽(←これもケッタイな表現ですが・・・つくづく日本語は難しい)はベートーヴェン以後、急速に発達した楽器の表現力などで、演奏者と作曲者が完全に分業してしまってからの流れが本流のように思っていましたが、バッハも影響されていたブクステフーデが活躍した時代、18~17世紀以前になると、現代とは全く違う「音楽地図」があるようです。ベートーベンもモーツァルトもまだいない当時に遡って、その後の音楽界の流れを一旦横に置いた上で、当時の楽器や演奏技法を尊重して現代に組立て直す作業が見直されているようです。実際このようなCDは近代的なビルの谷間をドライブしていても、BGMとしては実にマッチするから不思議です。例えは飛躍しますが、「150年前、日本にペリーが辿り着けなかったとしたら・・・」、「真珠湾攻撃後、日本から早期講和していたら・・・」どんな21世紀を迎えていたのか?「~たら、~れば論」になりますが、そんなSFチックな夢のある世界に思えます。(オーボエ氏に怒られそうだ・・・)

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コメント

おっと、、、ディレクターはゲーベルです。
ケーゲルだと、ピストル自殺しちゃった指揮者になっちゃいますよ。
もとい、このゲーベルも病気につき、2月ほど前に
引退表明してしまいました。誠に、残念。
ともかく、ブスクテフーデはとてもすばらしいと思います。
どうしても、バッハ以前の音楽というと、未完成・未成熟と
思われがちですが、古楽ファンにとっては宝の山なのです~
そんな、古楽の面白さに気づいてしまったあなたに朗報。
来年はブスクテフーデの没後300年の記念の年です。
面白いイベントがあるかも~

投稿: ぼえ | 2006年12月19日 (火) 23:48

あらら・・・
そうだった。
「そっち」のケーゲルとこんがらがっていました。

そういえば、というか、全然関係ないけど、
ケーゲルの指揮で「ストラヴィンスキー/プルチネルラ」ってのも、
よかったなぁ

投稿: ろば君 | 2006年12月20日 (水) 00:34

>ぼえさん

一応、記事中の誤記も訂正させていただきました。
ご指摘ありがとうございました♪

投稿: ろば君 | 2006年12月20日 (水) 00:38

>ぼえさん

「イベント」ったって、
デンマークやらドイツだったりしたら、キツいっす・・・。

ぼえさんのフットワークにはかないません。

投稿: ろば君 | 2006年12月20日 (水) 05:11

そうですなぁ…。
今年はパッヘルベルの没後300年だったのに
何にも無かったからなぁ。。。
来年は全部シベリウスに喰われそうだ…。

投稿: ぼえ | 2006年12月20日 (水) 23:27

>ぼえさん

たしかに、知名度ではベリウスにはかなわないですよね。

ただ、音楽の正体って、曲を作った側、演奏している側、聴く側の感じた現象そのものであって、それ以上でも、以下でもないと思うんです。

そう考えると、こういった昔の人の曲というのは、本人はとっくに死んでしまって知る余地も無いんだろうけど、僕らがこうして、現代において再現された演奏を聴いたり、CDを聴いたりして、聴く側に感じるものがあるとすれば、それは彼らが300歳、400歳として生きているって事ですよね。そう考えると、感慨深いものがあります。

「300歳の彼らの音楽」は、19~20世紀以降の音楽にも影響された僕らの感性をベースとして現代に蘇っていると考えると、凄いです。今後もそうやって、色んなものを取り込みながら進化し続けるんだろうなぁ・・・なんて、思ったりする。

もう300年くらい経ったら、シベリウスもタケミツトオルもごっちゃになったブクステフーデみたいな風になっていくのかな。

投稿: ろば君 | 2006年12月21日 (木) 05:28

折角ですので、続けてみます。
実は、この辺から難しい問題になってきます。
まさしくバッハやヴィヴァルディはよい例なのですが、
楽譜は300年残ってきたのですが、
演奏方法は一旦途絶えてしまっているのです。
(古楽の復興はここ3~40年です)
サックスとピアノで奏でるバッハの音楽はバッハの音楽と
いえるのでしょうか?

逆に、バロックヴァイオリンとチェンバロで演奏するバッハが
バッハそのものか?というと、100%の再現性は不可能でしょう。
では、古楽は何をめざしているの?

300年の蓄積の中で何かを失っていないか?
進歩したのか、単なる変化なのか?
変化を恐れ、停滞することは善なのか…?

まあ、いつまでたっても答えの出ない問いだと思いますが…。

投稿: ぼえ | 2006年12月22日 (金) 00:01

バロックヴァイオリンとチェンバロで演奏するバッハというのは、演奏によっては、天文学的に少ない確率で、当時と全く同じ音響的な現象が再現されている可能性があるのかもしれません。当時の演奏を聴いた人が今生きていない以上、比較して確かめる事は無理だと思いますが・・・。

言える事は、音楽は発信者の側面だけでは成り立たないという事だと思います。受け取る聴き手側が、その日の気分や体調もあるし、音楽を聴く土台として、ロマン派以降の音楽や現代音楽も聴いている中での、古楽演奏だったとすると、もうそこで違うものが「再現」されてしまうと思うのです。仮に色々な測定器を使って、音響的にも物理的にも当時と同じ「音楽」が再現されてもそうなってしまうと思います。

やっぱり、答えはないんだと思います。
ただ、300年前の音楽も、50年前の音楽も人類の蓄積だと思います。
そういう観点で見れば、サックスとピアノによるバッハも
バッハの「音楽」といえなくも無いと思います。
今の聴衆や、奏者が今の楽器で「バッハ」を感じようと
しているんだと思います。
聴く人間が、「いま、ここ」にいるだけだと思います。
残っているのは、バッハの書いた紙切れ一枚しか無いんですから。

投稿: ろば君 | 2006年12月22日 (金) 04:11

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